2024年2月14日水曜日

信田団地 昭和こども日記 「あのひぼくらは」#2

2.団地の階段を駆け上がっていく。二人並んでぎゅうぎゅうなりながら。いつの間にか競うように上がっていくもので。ちなみにあっくん家(ち)は四階だけど四階くらいなんてことはない。「ヨシッ着いた!オイが勝ちばい!」と兄ちゃんが叫んだ。「ちくしょ・・いつも負けるけんねぇ。なんでかなぁ。くやしかぁ。。」。

 細くて背も小さなぼくはいつも豆ん子。いつも行く保育園の年長さんの中でもいっちばん背が小さい。ぼくはちょっと女の子みたいな髪の毛の長さだから、先生はやさしくしてくれるけど…とくにみどり先生はやさしくて、ぼくが走ってずっこけたり、竹馬に乗って転ぶと、「とっちん、だいじょうぶ?」と言って抱き起してくれる。いい先生だ。とにかく、ぼくは運動は苦手で、足が遅くて、どこかどんくさいから、あっくんとにいちゃん達の友達仲間と遊ぶ時はいつもの「豆ん子」にされるんだ。

 豆ん子は、ルールは無視の無敵の子。鬼ごっこの時、逃げ回って鬼にタッチされても、ぼくは鬼にはならない。捕まえ鬼で鬼にたっちされても、ぼくは陣地には捕まんない。そんなだから、鬼の子は、ぼくをみつけるとがっかりしてべつの子を探しに行く。ぼくが豆ん子だってこと忘れて追いかけてくれる子も時々いたけど、だいたい途中で気が付いて、他の子を探しに行く。向こうへ走り去っていく鬼の子の後ろ姿を見ながら、ぼくは、もう鬼の子からは追いかけられないから少し安心する。でも、少しかなしくて、なんだか、上手く言葉にできないさみしい気持ちになるんだ、いつも。だけど、豆ん子じゃないとぼくはずっと鬼のままになっちゃうし、ずっと陣地に捕まったままだから、仕方なくいつも豆ん子にされるのを受け入れている。

 ドアの前、あっくんち、いつも鍵は開いているからいきなりドアノブを回して、狭い団地の玄関にうんどう靴をほっぽり出し、奥のあっくんの部屋へ走って行った。「あっくん!いまなんしよる?集会所で遊ぶ?そいとも雨降り公園にいく?それともシンボル公園?」。二人バラバラにそう言うと、びっくりしたあっくんがアイスを食べながら、「今日は集会所いくぞ!」と言った。あっくんはいつもアイスを食べている。一日三個くらいたべることもある。だからなのか、あっくんはおっきくてふっとい。ぼくたち兄弟二人あわせたくらいがあっくんだ。アイスをいっぱい食べられるあっくんは、ぼくよりもお小遣いいっぱいもってるんだなきっと。

 ちょっと待て?。集会所では今、ソフトボールチームのれんしゅうやってる。だから遊べない。ぼくは、さっきまで集会所でソフトボールの練習をみていたことをふたりに話して別のとこへ行こうと言った。するとあっくんが「そしたら、ジャンプ探しいこうで!」。と言った。

 ジャンプ探し!。なんていう懐かしい響き。ジャンプはもちろん週刊少年ジャンプの事で当時、大人気の漫画雑誌だった。ドラゴンボール、聖闘士星矢、キン肉マン、北斗の拳、ついでにとんちんかん、さきがけ男塾、キャプテン翼!、ハイスクール奇面組、メカドック、銀河、ウイングマン、気まぐれオレンジロード、こち亀etc…。今思い出しても錚々たるラインナップでびっくりするが、まだ幼かったぼくらは、当時、特にサッカーのキャプテン翼が大好きで、小さい頃の悟空が大活躍するドラゴンボール、正義悪魔を越えた友情に涙するキン肉マン、ギャグが面白いとんちんかん、ハイスクール奇面組を楽しみにいつも読んでいた。なんていい時代だったのだろう!。それはともかく。

 ジャンプ探し!。信田団地の入り口には、高さがぼくよりちょっと大きいくらい、幅はぼくら三人一緒にならべるくらい、奥行きがぼくが寝転がれるくらいのゴミ入れ倉庫があって、毎週木曜日になると廃品回収のゴミでいっぱいなる。閉まらないほどになるときもある。そのごみの中から、お小遣いでジャンプを買えないさみしい僕らは、捨てられた段ボールや雑誌、新聞、積みあがった本なんかの中から、週刊少年ジャンプを探し回ってゲットするのだ。31号、32号などと連続する号数を見つけると嬉しいもので、みつけると続きが読める嬉しさでぼくらは飛び上がった。ぼくらのジャンプ探しは、そんなお宝を見つけにこの町の団地中を探し回る旅の事だった。一つの町になった団地は広い。とても広いけれど、いつもコレをやっているから、どこにそのお宝があるのか、どこで見つかりやすいかが大体わかっていた。なんでも慣れるとわかるものだね。こんなゴミ漁りのような事でも。

 「よし、今日こそは、聖闘士星矢のシュンがクロス着た全身の姿をカーボン紙でなぞって絵に描くんだ!」ぼくはそう心に決めてお宝ジャンプ探しへの旅へ出かけて行った。

今日はここまでです。また次回に。

2024年2月3日土曜日

信田団地 昭和こども日記 「あのひぼくらは」#1

1. 今から数十年前のこと、和暦は、まだ昭和五十〇年代。幼かったぼくは、気が付くと信田団地ていうとこにいた。片田舎の山の上に立ち並んだたくさんの団地が集まって一つの町になった場所。その集会所ていう町の広場の端っこに立っていた。カキーン、カキーン、町内ソフトボールチームが金属バットをふって練習している音が聞こえてくる。使い込まれた革のグローブを付けてどろんこユニフォームを着てる年上の子たちがなんだかカッコよくて、ぼくは、時々、緑の生い茂った大きな木が立ち並ぶ間からみんなの練習風景を眺めている。へへへ。

「ねえどこの子ね、ソフトすきとやあ?」と誰かが声をかけてくる。びっくりしてぼくは走って逃げる。少し離れたところからふりかえってみると、監督みたいなひと、町内のどこかのうちのおじさんがそこに立っていた。野球は好きだ、けど。だって、おじいちゃんが毎日お酒を飲みながら、テレビのナイター中継を見てるから。ぼくもおじいちゃんと一緒に巨人をおうえんしているんだ。体が細いけどとても上手い篠塚が好き。でも、この、ソフトボールていうのはなんだかよくわからない。球がとても大きそうに見えるし、ぴっちゃーがなげるのも下から腕をぐるぐる回してなげているんだから。きっとあれは野球とは違う。別の野球なんだろうなぁ…と思いながらみてた。

「あ!」兄ちゃんと遊ぶ約束してた!ことを急に思い出してぼくは叫んだ。遅れたらまたおいてけぼりにされる…と思いながら自分の家がある1-2棟へむかってはしっていった。集会所の出入り口の階段をおりる。そういえば、この集会所では、夏になると盆踊り花火大会があって、金魚すくいやヨーヨーすくい、いつも外れるくじびきやさん、たこやきやさんなどたくさんのお店が来ていて、そして町のおじさんおばさんが好きな踊りや歌をひろばの中央の高いステージの上で披露したりして、ぼくはとても楽しいんだ。集会所の出入り口のこの階段の上で、町の子たちがいっぱい行ったり来たりしてまるで、街でお正月にある初売りの様に、人同士がぎゅうぎゅう詰めの大賑わいになる。知ってる子の顔たちが行ったり来たりする。とても面白い。でも、今日はぼくひとり。さっさと十五段くらいの階段をかけおりて、町の広い道路に向かって走って行く。

おおっと。またタクシーが止まってる。今は二台だ。このタクシー。ぼくはいつもクスッとなる。ぼくら兄弟は団地の二階からトランシーバーをつかっていたずらをしてつなげようといつも頑張ってる。でもなかなか繋がらない。いつか、タクシーのおじさんにつないで「~どうぞー」といっていたずらしてやるんだ。タクシーの横を過ぎて横断歩道に向かった正面に、町のスーパー サトウ屋さんがある。いつもここでお菓子や野菜やお肉、魚などの食べ物を買っている。ここにはなんでもある。ここのパーマー髪のおばちゃんはちょっと怖い、けれど、時々は優しい。両隣に、お米とお酒とタバコ屋さん、お肉とお惣菜屋さんの二件があって、お米屋さんには、おかあさんがいつも電話からお米の配達のおねがいをしている。お店のおじさんが重いお米を担いで持ってきてくれる。力持ちのおじさんだ。きっと、お父さんくらいにつよいかもしれない。いやそれでもお父さんの方が怖いだろう。このお店のこどもの男の子は、ぼくと年も近くてときどき遊んでいる。でもちょっとおとなしい子だから。やっぱりいつもは遊ばない。二人でいるとしーんとするから。横のお肉屋さんのおじちゃんおばちゃんはとてもやさしくてぼくは大好きだ。お店のポテトサラダはあまくてキュウリがパリパリでとても美味しい。ときどき、「余ったから」とニコニコしながらわざわざ家まで持ってきてくれたりしていた。うちは貧乏だったから「やさしいなあ」といつもおもっていた。ぼくは、おばあちゃん、おかあさんに手を引かれていつもここに買い物へ行っていた。

ふっと意識が戻ってくる。今思えば、あの頃、ぼくらはこの三件のお店で生活のほとんどの物を買って暮らしていたんだ。あとタバコ屋の横には床屋があって、そのおっさんにいつも変な頭に切られていた。むちゃくちゃ嫌だったけどそこしか床屋がなかったから行くしかなかった。ともだちもそこで切られていて変な頭になっていた。色々と今はもう考えられないことだけど。

でも、いまは買い物するひまはない。お小遣いもない。信号をはしって渡り、お肉屋さんの先の道を過ぎてから一直線の道の向こうの1-2棟へぼくは走って行った。「おい、なんしよったとや」。団地の入り口のところで兄ちゃんがまだ待っていた。「よかったぁ。。もうおらんかと思った」。そして、ぼくらはいそいで1-5棟のあっくんちに走って行った。それがぼくらのいつもの行動で、それがぼくらがいつも「遊びいく」ってことだったから。

今日はここまで。幼い頃の記憶、思い出を日記の様に思い出しながらゆっくりと書いてみようかなと思います。

2024年2月2日金曜日

最近楽しく観てるもの。ドラマ 「エイミー教授のミステリー講座」「ボッシュ BOCSH」

 久しぶりの投稿です。今日は最近、楽しみにして見てる番組が幾つかあってそのことを少し書いてみようかなと思います。たいした紹介にならないかもしれないけれどまあ気楽に書いてみたいです。
先ずはミステリードラマから一つ。アメリカの推理ドラマで「エイミー教授のミステリー講座」という番組です。今の時代、番組紹介は色んなサイトで見れますね。ここでは衛星放送のミステリーチャンネルから少し引用させてもらいます。
 ”英文学部の教授であり、ミステリーの専門家でもあるエイミーが、そのミステリーに関する膨大な知識と知恵で、ハンサムな刑事トラヴィスとともに難事件に挑む!
さまざまな“ミステリーあるある”も登場する、ミステリーファンのためのミステリードラマ!”
と番組のとても分かりやすく内容が紹介がされています。これは、、私が説明しなくてもそれでもう十分理解できるなあと。。もう付け加えることはないと思ったのですが…推理とか事件のことでなく、見ていて私がとても感心することがあって、それをちょっと書いておきたいと思います。
 それは、彼らの普段の生活や話し方(英語も理解しやすい)、コミュニケーション、仕草にとても感心するんです。異文化に触れるというのか。主人公は女性なのですがとても凛としていて男性刑事相手に怯むこと無く意見を理路整然と言う。とても自律しているように思えるんです。それだけでなく、彼女の周囲の男性達、父や刑事達にも私は感心してしまう。主人公へパワハラ的に接することは皆無、あったとしてもそれは問題だと批判する、皆がきちんと彼女とコミュニケーションを取っている。
 また例えばLife style、生活環境で言うと、父親が夕食に彼女たちをよく誘うのですが料理を作るのはいつも父親(招待したのだから当然というかもしれませんが、日本だとそれでも大抵は娘が料理を作っているのではないかなと)で片付けするのも父親、横で手伝ってるのが刑事の男性、娘や友人の女性は友人同士リビングで談笑している、そんなシーンがよくあります。皆それぞれがとても自由で平等で公正なスタイルで、でもそれがとても自然な感じで。なんだか、いいなぁと感じる。もちろん、それは一部の事で~という意見もあるでしょうけどそういうシーンを自然にそして当然とドラマにしてる事がいいなぁと感心するんです。そんなエイミー教授たち、ミステリードラマとしてもとても面白いのでミステリー好きな人におすすめです。
 次に、サスペンスドラマから。「BOSCH」という長編ドラマを。シーズン1から7まであり、更に「BOCSH LEGACY」という続編が現在シーズン1、2と放送されています。
PRIME VIDEO参考
このドラマとても長い期間TV放送されていたみたいです。人気だったのがうかがえます。内容もアメリカの社会をとてもリアルに映像化してる、リアリティのある犯罪が起こる。ああアメリカってこんな風に事件が起きてるのかと思わされる。その展開に私は驚きながらもとても引き込まれました。また、続編の「LEGACY」は、サスペンスドラマで私がずっと期待していたこと、見て見たかった喜ぶような展開が起きています。主人公の刑事は組織という枠組みでしか捜査できない警察を辞めてなんと私立探偵に転職します。とはいえ、BOCSHはこれ迄、刑事だから普通に出来たことが出来なくなる。最初これに戸惑います。でも、私立探偵だから出来ることを上手く用いて新たな仲間たちと共に事件や謎を追っていくというストーリー。これは非常に面白かったです。そしてちょっと気が付いたことで、英語なのですが上で紹介した「エイミー教授のミステリー講座」は綺麗でわかりやすい文章なんですがそれと違ってもっと生々しい単語が沢山でてくる。スラングていうんでしょうね。そういう違いが感じられる対照的なドラマだなあと思って観ていました。
 今回は、二作品について書いてみましたが、作品の紹介というかこういう感想を書くのやっぱり難しいですね。でも面白いから、また、何か気が向いたら書いてみたいと思います。ここまで読んでくれてありがとう。ではまた。

信田団地 昭和こども日記 「あのひぼくらは」#2

2.団地の階段を駆け上がっていく。二人並んでぎゅうぎゅうなりながら。いつの間にか競うように上がっていくもので。ちなみにあっくん家(ち)は四階だけど四階くらいなんてことはない。「ヨシッ着いた!オイが勝ちばい!」と兄ちゃんが叫んだ。「ちくしょ・・いつも負けるけんねぇ。なんでかなぁ。く...